お茶の水女子大学附属小学校 田中千尋
(1)大学校内の樫の木
大学構内の「日時計広場」には、2本の樫の木(シラカシ)がある。日時計が設置される場所なので当然日当たりは良く、樫の木本来の「自形」に育っている。
樫の木の周囲にはベンチが設けられ、大学生が談話をしたり昼食をとったりするのに利用できるようになっている。樫の木のとっては迷惑な施設だが、子どもたちが自然観察をするには、誠に都合が良い。
大学構内の主な樹木には、このような名称札がつけられている。和名、学名、科名、漢字表記がある。和名がカタカナになっていること、漢字併記があることが優れている。説明文は簡潔だが、植物の形態や生態も中でも最も重要な事項は抜けていない。「ドングリの皿」という表現も、実は形態的には正しい。
名称札の説明文にもありように、シラカシはブナ科の常緑樹である。ブナ科Fagaceaeは、常緑樹と落葉樹が混在する、珍しい分類群である。クリを除けば、すべて「堅果」(正確には殻斗果)と呼ばれる果実をつける。これが俗に「ドングリ」と呼ばれている。
ブナ科の落葉樹である、コナラやクヌギと同じように、シラカシも秋に実を落とす。日時計広場にあるシラカシも11月に入るとおびただしい数の実を落とす。大学生はドングリなどひろわないので、樫の木の下は、落ちたドングリで一杯になる。
子どもたちはドングリが大好きだ。観察用には1個か2個あれば十分なのに、何十個もひろって、ポリ袋やR1(乳酸菌飲料)の容器に入れている。まるで「ドングリを見つけたらいくつでも拾う」という遺伝子を持っているかのようだ。考えてみれば、私が子どもの頃もそうだった。小学校の校庭にコナラの木がたくさんあって、千個ぐらい集めた記憶がある。あとから「コナラシギゾウムシ」の幼虫が出て来て困ったものだ。
(2)シラカシの果実の特徴
「ドングリ」がなるブナ科の樹木は種類が多い。東京付近で見られるものとしては、以下の5種類がある。
このうち「シラカシ」と「マテバシイ」は常緑樹である。シラカシの果実はコナラに形も大きさも似ている。しかし、帽子(殻斗)が同心円状の模様になっていることで、確実に見分けがつく。
上段左から「コナラ」「シラカシ」「スダジイ」
下段左から「マテバシイ」「クヌギ」(絵;C.Tanaka)
この「帽子付き」が子どもたちの人気の的なのだが、果実が樹木から落ちる時に分離して、帽子だけ枝に残ったり、地面に落ちた時の衝撃で、分離してしまうことが多い。地面に落ちているシラカシのドングリで、完全に帽子(殻斗)が残っているものは、100分の1ぐらいだろう。「貴重品」なのである。
当然ながら、子どもは誰もが「帽子付き」の「完全標本」を必死で探す。しかし、クラス全員が入手することはまず困難である。
地面のドングリにあきらめがつくと、子どもたちは今度は枝を見上げてさがしだす。地面に落ちたドングリの「供給源」は、このシラカシの樹なのだから、どこかの枝に必ずなっているはずである。しかし、シラカシは常緑樹。晩秋でも青々と葉を茂らせ、枝に残った果実はなかなか見つからない。さて…
(3)枝にあるシラカシの果実
シラカシQuercus myrsinifolia は関東地方に広く分布する常緑広葉樹である。樹は幹が細く、建築材にはならないが、「樫(木へんに堅)」の名の通り材は堅く、高級木炭や、木刀の材料として利用される。
落葉広葉樹の葉が、次々と落ちてゆく中で、シラカシは11月下旬になっても夏と変わらず、青々としている。下から見上げた姿は、奄美大島あたりの南国の森を思わせる。しかし、シラカシは奄美にはない。
シラカシの根もとのドングリばかりに目がいっていた子どもたちだったが、何人かの子どもが、まだ枝になっている果実に気づき始めた。
「先生、あれ、あれ!帽子ついたの、なってる」
「とどかない、とって、とって!」
枝についている果実の様子を見ると、いろいろなことがわかる。ドングリにかぶさっている「殻斗」は、「ドングリの帽子」と形容されるが、枝についている状態では「ドングリのズボン」のほうが正しい。大学が設置して名称札にあった「ドングリの皿は環状です」という説明も、この形状をうまく表現していると思う。
シラカシの果実(ドングリ)が枝についている姿は、非常に美しい。皿(殻斗)はまだ緑色を残している。地面に落ちると、たちまちこの緑は褪せてしまう。果実本体の色も「赤褐色」でつやがある。これも地面に落ちて乾燥すると、たちまち黄土色に変化して、つやも落ちてしまう。
(4)帽子のついたドングリ
シラカシの果実(ドングリ)は、まだ枝についている時はつやもあって色も美しい。帽子(殻斗)も完全で、子どもたちの目から見ても、実に魅力的である。
一つの枝(梢)に4~5個もついていることもあり、手折って水にさし教室に置いておくと、しばらくの間観察することができる。
しかし、地面に落ちた状態では、なかなか完全な果実は見つからない。ほとんどのものは、ドングリ(種子に相当する部分)と帽子(殻斗)が分離してしまっている。枝になっていた時の「組み合わせ」もまったくわからない。それでも、子どもたちは「帽子付き・未使用新品」を必死で探そうとする。一本のシラカシの下には、何千個も落ちているので、楽しい活動だ。
「枝に完全なドングリがあるらしい!」こういう情報は、あっという間に伝播する。しまいには、シラカシの幹を思い切り揺すって落とそうとする子どもも現れた。しかしゾウでもない限り、幹は簡単には揺れないし、ドングリも落ちてこない。
それでもしばらく樫の木の下を「捜索」するうちに、帽子付きの完全品が続々と見つかった。色からすると、枝から落ちて数日たったもののようだ。枝に帽子(殻斗)だけが残っていることはほとんどないので、シラカシのドングリは殻斗と一緒に落下してくるようだ。
上写真で子どもが指さしているものが面白い。「先生、先生、ほら、ちっちゃいの。ドングリの赤ちゃんかな?」この推理はおよそ当たっている。ブナ科の果実(ドングリ)は、小さい時は殻斗がドングリ全体を覆っていて、成長につれて覆われる面積が小さくなる。小さなものは、成長せずに落下した「不良品」ということになる。最終的に落下と同時に分離して、コロコロころがって、発芽すべき場所に移動するのだろう。
(5)枝と果実の関係
シラカシの果実(ドングリ)は、帽子(殻斗)ごと枝から落下することが多い。殻斗は残して、ドングリ本体(種子)だけを落としたほうが能率が良いようにも思う。しかし、殻斗は「種子を育てて保持する」部品であるから、種子を落としたあとは樹にとっては邪魔者である。一気に落としてしまったほうが良いのだろう。種子と殻斗も非常に簡単に分離できるが、枝と殻斗の関係はどうなっているのだろう?
上写真は、殻斗と枝先の接合部の拡大である。斜めに接合していて、はっきりとした境界線(トレンチ)が見られる。果実が完全に成熟すると、接合部の細胞が具合よく枯死し、果実の重さや振動で分離する仕組みがあるのだろう。
果実のある枝先をよく観察すると、すでに冬芽が用意されているのがわかる。子どもたちも「これは何ですか?」と不思議がっていた。花芽か葉芽かはわからないが、今年の実が落ちないうちに、すでに次の季節の準備をしているのである。
教室に持ち帰ったドングリを、さっそくみんなで観察することにした。ドングリのような観察対象の場合、3年生の子どもは、観察カードに実物大に描こうとする。大きく描けば特徴を細かく記録できるのだが、「目の前にあるものを、大きさを変えて描く」ということは、実は3年生にとっては案外難しいことなのかも知れない。
さて、子どもたちの観察カードに書かれた 文章の中に、驚くべきものがいくつか見られた。
子どもの観察カードから(*筆者注)
「大学校内(*構内)の日時計ひろ場で、しらかしのどんぐりをたくさんひろいました。私はどんぐりが木になっているのを見て、どんぐりって、木の実なんだと、はじめてしりました。」
「私は、2年生の時に、ライオン池(*校庭の壁泉)のところで、ドングリをたくさんひろいました。その時は、ドングリは、土の中にできると思ってました。でも、かしの木になてって、おちてくると知ってびっくりしました。」
びっくりしたのは、私自身である。3年生でもドングリが木の実であることを、今の今まで知らなかった子どもがいたということである。観察から気付かせることがいかに重要かを、再認識したように思う。