(1)社会的ジレンマの定義(文献研究)
社会的ジレンマの定義として、
条件1)他者の行動にかかわらず、非協力行動をとる方が私的利益は大きいが、
条件2)全員が非協力行動をとった場合の各人の私的利益のほうが全員が協力行動をとった場合の私的利益よりも小さくなってしまう状況としている。[1]
そして、非協力行動と協力行動は、
非協力行動…長期的には公共的な利益を低下させてしまうものの、短期的な私的利益の増進に寄与する行為。
協力行動…短期的な私的利益は低下してしまうものの、長期的には公共的な利益の増進に寄与する行為。[2]
とされている。
ジレンマとは相反する二つの事の板挟みになってどちらとも決めかねる状態とされているが[3]、社会的ジレンマとは、社会的論争問題で、様々な価値が衝突しジレンマ状態となっているのではなく、個人の利益を優先させるか、社会全体の利益を優先させるかといった枠組みであり、個人の利益を優先させる行動は非協力行動、社会全体の利益を優先させる行動は、協力行動と見なすことができるということである。
(2)過去の実践を社会的ジレンマの定義から考察
そこで、過去の、様々なジレンマを抱える社会的な論争問題を扱った授業実践を社会的ジレンマという側面から授業分析してきた。以下、実践の中で考えられる私的利益(個人的合理性)、公共的な利益(社会的善・社会的合理性)について分析を示す。
東日本大震災からのまちづくり~震災遺構は保存すべきか解体すべきか~(2012年2月実践)
(ア)概要
2011年3月11日の東日本大震災では想定していた以上の強い揺れと高い津波が起き、未曾有の災害と呼ばれる結果となった。岩手県や宮城県では、大きな津波で被災した建造物(震災遺構)が数々残っている。今後、東日本大震災から復興していくにあたって、この震災遺構はどうされていくべきか、陸前高田市と大槌町の事例をもとに子どもたちと一緒に考えた。
(イ)社会的ジレンマの枠組みでの分析
震災遺構を保存することで、100年後1000年後の津波防災へとつながったり、観光遺産としてまちの利益につながったりすることは、公共的な利益とも言える。「震災遺構を保存する」ことが、公共的な利益となるとすると、例えば、建物を見るのがつらいと訴える遺族の「震災遺構を解体する」といった立場は、個人的利益となってしまう。
しかし、震災遺構を解体することで、公共的な利益につながると考えられる場合もある。例えば、街全体をかさ上げし、津波に強い新しいまちをつくることができたり、解体費用の補助が国から出るということなどだ。
さらに、その震災遺構で亡くなった遺族の立場としても、家族との思い出が失われてしまうという理由から保存を望む遺族もおられる。つまり、保存・解体の両方の立場でも私的利益と捉えることもできる
(ウ)以上の実践から生じる疑問
・保存解体どちらの立場でも、公共的な利益と考えられ、社会的ジレンマの枠組みにうまく当てはまらない。
・震災遺構を解体してほしいという一部の遺族の方の声が、私的利益の追求ととらえられかねない状況がある。
(3)社会的ジレンマの定義を改めて考える
いままで実践を分析した結果、上記で示した社会的ジレンマの定義の枠組みでは、考えきれないことが出てきている。そこで、無理にあてはめて考えるよりは、社会的な論争問題は、様々な考えが複雑に入り組んでおり、議論すれば議論するほど、新たなジレンマが生まれるが、そういった混乱状況のもとで、何が個人の利益につながったり、社会全体の利益につながったりするのかを考えて行くことが大事なのではないかと考えるようになった。
図1のAのような、個人の利益が対立している状況では、それぞれの立場で、それぞれが大事にしたいことがあるとわかり(混乱状況)、様々な立場の人が幸せになる(公共的な利益)ためにはどのような決定がよいのかを考えさせる。
また、図1のBのような、一見、様々な立場の人が利益を得て様々な立場の人が幸せになっている状況、いわゆる社会的ジレンマ解消状況でも、様々な立場で考えることで、本当に社会的ジレンマが解消しているのかという問いが生まれ(混乱状況)、どのような決定が社会全体にとって良いのかを考えることにつながる。(以下の実践例を参照)
そして、この混乱状況において、こどもたちが、何が個人の利益となり得るのか、どんな判断が社会全体の利益につながるのかを考えて行く過程が重要だと考えている。そして、このように考え続けることが、持続的な探究過程としての学びのプロセスにつながるのである。
①実践例「八ッ場ダムは建設すべきかすべきでないかを考える」
(ア)概要
関東地方を洪水から守り、水不足を防ぐ目的で1952年に建設計画された八ッ場ダム。東京に住む私たちにとって、恩恵が大きいと考えることができる(社会的ジレンマ解消状況)が、森林整備や河川改修が進み洪水が起きにくくなったうえ、人口も減少傾向に向かい、東京都の水の使用量もへってきているといった観点から建設を疑問視している市民団体や政党も存在する。どういう決定がよりよいのか子どもたちと一緒に考えた。
(イ)第1時の様子から
八ッ場ダムは建設した方がよいのだろうか、建設すべきではないだろうかと子どもたちに問うたところ、「水不足がなくなる」「洪水がなくなる」といった、社会にとって良いことがあるということに言及した子や「住民の気持ちはどうなる?」といった、個人的価値に触れるものもあった。単元開始時のクラス全体の結果は賛成23、反対9だった。ダムを建設するという公共的な利益に賛同している子が多いと考えることができる。
(ウ)第12時の様子から
授業者が住民の方から聞き取りしたこと(例:「仕事が終った後や休日返上をして対策会議をしたり、反対運動を繰り返すことで、住民が疲弊していった。」「移転費用は、新しい家を建てたらなくなってしまった。」など)をプリントにまとめ、子どもたちに提示した。
R児は授業後のふりかえりには、『Tさんのお話を聞いて反対になりました。国が私たちのためにダムを造ろうとする気持ちはとてもありがたいけれど、住民の気持ちもとらえずに造るのは、やっぱりよくないと思う。もし、まだ造る話がはっきりときまっていなかったら、絶対に反対したい。』と書いている。R児は、当初から賛成の立場をとり、賛成にこだわって主張してきたので、授業者にとっては、かなりの想定外だった。住民の気持ちに寄り添い、住民との合意を形成していこうとするならば、ダムを建設することに賛成と主張するべきだが、反対の立場を取っている。ダムを建設することは社会全体の利益につながると感じつつも、住民の声を聴くことで、混乱状況に陥っていると捉えることができる。単元終末に「八ッ場ダムは建設すべきかすべきでないか」という意見文を書かせた。I児は以下のように書いた。ここから、I児なりに、様々な立場から考え、どのような決定をしていけばよいのかを考えている。
~略~「動物保護を強くして、できるだけ動物の命を守ってあげること」「住民の保障をしっかりして、税金の無駄遣いはやめること」「お墓があるところではなく、小規模なところに道路を作ってほしいこと」あとのことを考えると、治水面利水面では、八ッ場ダムは必要だと思うので、そこだけ直せば、僕は造ってもよいと思いました。 |
(4)モラルジレンマと社会的ジレンマとの比較~小学校1年生の優先席の実践から~
本実践は、第1学年に行ったものである。低学年であっても「市民的資質」につながる素地は様々な場面で育成することができるという考えの基に行った実践である。
本実践は、交通機関を使って通学する子どもたちにとって身近な優先席を題材に取り上げ、優先席があいている時には座ってもよいのか、それともはじめから座らない方がよいのかについて、話し合いを進めていった。空いている時は座ってもよいが、お年寄りや身体の不自由な人が乗ってきたら替わればいい、という意見が当初は圧倒的に多かったが、
O児の「譲っても遠慮して『いいですよ。』という人がいるから、最初から空けておいた方がいい。」という意見や、I児の「表には見えなくても体の悪い人がいるから」という意見に子どもたちの考えは大きく揺さぶられ、葛藤していた。「優先席に座らない」という考えにも、いろいろな見方・考え方があることを子どもたちは気づかされた。
さて、本実践をモラルジレンマという視点から見てみると、空いた優先席に座ってもよいという価値と、優先席は空けておいた方がよいという価値の衝突が、話し合いや思考を通して、道徳的価値を自覚したり、道徳的な考えの発達をうながしたりする契機となっているのではないかと考えられる。しかし、実際の社会の中で、優先席を取り入れたり優先席を廃止したりする鉄道会社の取り組みの例を知るなど、2つの価値を調節しようしたり、葛藤の末決定しなければならないという点から考察すると、社会的ジレンマの一面として考えることもできる。いずれにしても社会的ジレンマとモラルジレンマの2つは、やはり切り離せるものでもなく、常にお互い行きつ戻りつしているのではないかと考えられる。
(5)社会的ジレンマの教材化の可能性~「公正」の学習を題材に~
1.はじめに
社会的ジレンマを考える上でその目的に適うものとして、法の基本原理の一つである「正義」の概念を用いた授業の有用性を提案したい。特にここでは、利益や義務の分配を行う場面における「公平」の概念である「配分的正義」への理解を深めることを志向した教材「避難施設の建設に関する公聴会を開こう」を取り上げたい。これは、平成23年に中学校3年生を対象に、公民的分野「(1)わたしたちと現代社会 イ 現代社会をとらえる見方や考え方」において実施したものである。
社会的ジレンマを「長期的に公共的な利益を低下させてしまうものの短期的な私的利益の増進に寄与する行為(非協力行動)か、短期的な私的利益は低下してしまうものの長期的には公共的な利益の増進に寄与する行為(協力行動)のいずれかを選択しなければならない社会状況」と定義づけた時、本単元で設定した事例には次のような社会的ジレンマ構造が成り立っていると言える。津波被害の危険が予測されるこの地域の住民にとっては、長期的な利益を考えると避難施設は絶対に必要であり、そのためには税金の負担はやむを得ないと考えている。一方、居住する地区によって、あるいは家族状況や家計の状況によって避難施設建設に対する切実性は異なり、住民の意識には温度差があるため、一律に税金を負担することには抵抗感が強い。住民としてはなるべく税を負担したくないという私的利益を優先したいという本音がある。つまり、個人の願い(避難施設は必要だが、なるべく税金の負担を軽くしてほしい)とまちの願い(安全・安心な避難施設を建設するためには税金の負担が必要)は必ずしも一致していないという状況がある。このような社会的ジレンマ構造を解消し、合意を生み出すためには、各家庭の状況に配慮しながら、住民から徴収する税負担に公正さを担保するルールをつくり出すことが求められる。
税の徴収方法を生徒たちに考えさせるにあたり、ここで求められる「公正さ」とは、一律に同額の税を徴収することではないと気付かせる必要がある。形式的に平等にするだけでは住民の協力行動を引き出すことはできない。「公平」とは「同じように扱うこと」という意味である。しかし、全ての場合に全ての人を形式的に同様に扱うことは「公平」とは言えない。全体の利益を満たすために形式的に平等に扱うことが、個人の利益を損ねてしまい、結果として全体の利益と個人の利益が合致しないことが起きうるのである。
本単元を社会的ジレンマ教材としての視点で見直した場合、個人の願いと社会の願いが合致しないが故に、話し合いは活性化し、その解決に向けて生徒たちが真摯に取り組もうとする態度を引き出すことができた。社会的ジレンマを題材にする場合、生徒たちにとって切実な課題であることが重要であり、そのためには現実の社会で起きている問題を扱うことが求められる。社会科として習得すべき学習内容に現実のジレンマ課題をどのように結びつけられるか、様々な実践の蓄積が待たれる。